池田勝正は、織田信長の家臣ではありません。
時折目にするのですが、織田信長と将軍義昭の権力構造を混同して、摂津国人から同国守護職となった池田家当主の池田筑後守勝正を信長の家臣と表記してあるものがあります。信長の家臣として書いてあるのは、他の人物でも結構あるのですが...。
これは違います!織田信長の家臣になった事はありません。
将軍義昭から任命された摂津守護職ですから、幕府に属する勢力で、織田信長方に内包された勢力ではありません。
足利義昭は、幼少から僧として育ったため、軍事的な才能はありません。その采配ができないので、織田信長が主に担っていましたが、幕府にはそういう役割を持つ人材がありましたので、幕府直属の軍事力もありました。例えば、有名なところでは明智光秀、細川藤孝、一色藤長、三淵藤英などです。
将軍義昭政権樹立の功労者として、また、軍事面での動員力は、織田信長は同政権内で、大きな存在ではありましたが、格式としては、池田家は織田家と同格です。
※永禄11年以降では、国人から守護職になったばかりですし、兵の動員力に差があり、信長は「弾正忠」を任官(位階は筑後守より下)してはいるのですが。
池田勝正は、将軍義昭政権を支える幕府方の人物です。